『失敗の本質』から読む、現代ビジネスの意思決定エラー
日本軍の組織的失敗を分析した名著『失敗の本質』。そこに描かれた6つのエラーは、現代の企業組織にも驚くほど当てはまる。
Tag
辞書項目(11)
1942年8月〜1943年2月、南太平洋ソロモン諸島で日米が争った6か月の消耗戦。日本軍は戦力を小出しに投入して各個撃破され、制海・制空権喪失で補給が途絶。死者約2万のうち75%が餓死・病死し、兵士たちは島を『餓島』と呼んだ。
1945年、沖縄戦で看護要員として動員された15〜19歳の女子学徒隊。240名中136名が死亡し、その86%が解散命令後のわずか1週間に集中した。出口戦略なき民間人動員と、遅すぎた撤退判断が生んだ組織的悲劇の典型。
1937年〜1945年、大本営(最高統帥機関)が行った公式戦況発表。太平洋戦争中期以降、戦果の過大報告と損害の隠蔽が組織的に常態化した。発表上の撃沈空母84隻に対し、実際は11隻。現代日本語で『大本営発表』は虚偽報告の代名詞として定着している。
1944年3月〜7月、ビルマ戦線で日本軍がインド北東部インパール攻略を目指した作戦。補給計画を欠いたまま精神主義で強行し、約3万人が戦死・餓死。牟田口廉也中将の独善的指揮と撤退判断の遅延が重なった、日本軍の組織的欠陥の集大成。
1945年2月〜3月、栗林忠道中将が指揮した硫黄島の防衛戦。従来の水際撃滅と万歳突撃を禁止し、データに基づく地下陣地防御を採用。米軍の予想5日間を大幅に超える36日間の抵抗を実現した。日本軍の失敗史の中で際立つ、合理的リーダーシップの事例。
1944年10月〜1945年8月、航空機・人間魚雷等による体当たり攻撃。約4,000名の搭乗員が戦死した。大西瀧治郎中将自身が『統帥の外道』と認識しながら止められず、初期の過大な戦果報告が組織の判断を歪めて常態化した。一度始めた施策を止められない組織のメカニズムの典型。
1944年10月、フィリピン・レイテ島周辺海域で行われた史上最大の海戦。日本海軍は小沢艦隊を囮に米機動部隊を北方へ誘引し、栗田艦隊がレイテ湾に突入する計画だった。囮は成功したが、栗田艦隊は突入直前に反転離脱。帝国海軍は事実上壊滅し、作戦の意思決定過程は戦後も解明されていない。
1945年3月〜6月、沖縄本島を中心に行われた太平洋戦争最後の大規模地上戦。日本軍約9万人、沖縄県民約9万4千人、米軍約1万2千人が死亡。本土決戦の時間稼ぎとして民間人を巻き込んだ持久戦が展開され、戦艦大和の海上特攻に象徴される合理性なき作戦が繰り返された。
1945年〜1956年、約61万人の日本軍将兵・民間人がソ連に抑留され、シベリア・中央アジア等で強制労働に従事した。極寒と飢餓の中で約6万人が死亡。最長11年間にわたる抑留は、組織(国家)が崩壊した後、末端の構成員が放置される構造的問題を浮き彫りにした。
1946年5月〜1948年11月、連合国が日本の戦争指導者28名を裁いた極東国際軍事裁判。東条英機ら7名が絞首刑。『平和に対する罪』という新しい法概念が適用された。日本型組織における『誰が決めたのか分からない』意思決定構造と、その責任追及の困難さを浮き彫りにした。
1939年5月〜9月、満州国とモンゴル人民共和国の国境地帯で起きた日ソ間の局地戦。関東軍の独断専行と情報軽視により、近代装備で劣勢のはずのソ連軍に日本軍が完敗した。『失敗の本質』が最初の事例として取り上げた、日本軍の組織的欠陥の原型。