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概要
両立論(Compatibilism)は、決定論と自由意志は論理的に矛盾しないと主張する哲学的立場である。「軟決定論(Soft Determinism)」とも呼ばれる。
決定論とは、宇宙のすべての出来事が先行する原因と自然法則によって必然的に決まるという見解である。これが真であれば、人間の行動も同様に決定されている。両立論者はこれを認めたうえで、「それでも自由意志は存在し、道徳的責任も成立する」と論じる。
対立する立場は「非両立論(Incompatibilism)」である。非両立論はさらに二つに分かれる——決定論が真なら自由意志はないと主張する硬決定論(Hard Determinism)と、決定論を否定することで自由意志を確保しようとする自由意志論(Libertarianism)である。
両立論の論理構造
両立論の核心は、自由の定義の組み替えにある。
ホッブズ(1588-1679)とヒューム(1711-1776)は、「自由とは外的強制なしに自分の欲求に従って行動できることである」と定義した。この定義のもとでは、行為が因果的に決定されていても、その原因が行為者自身の欲求や意志である限り、行為は「自由」と呼びうる。
古典的な反論として「なぜそう欲求するのかも決定されているではないか」がある。ヒュームはこれに対し、欲求の遠い原因が宇宙の歴史にさかのぼるとしても、その欲求が行為者の性格に根ざしている限り責任は帰属すると応じた。重要なのは原因の連鎖の長さではなく、行為の近因が行為者の内側にあるかどうかだ——これがヒューム的両立論の骨格である。
「自由とは、意志の決定にしたがって行動する、あるいは行動しない力である。」 (デイヴィッド・ヒューム『人間知性研究』第8節、1748)
フランクファートの精緻化
ハリー・フランクファート(1929-2023)は1971年の論文「自由意志と人格の概念」で、両立論を階層的欲求論によって再定式化した。
フランクファートは欲求を二層に分ける。一階の欲求(first-order desire)は具体的な行動への欲求である。二階の欲求(second-order desire)は、自分の欲求についての欲求である。タバコを吸いたいという欲求を持ちたくない——禁煙希望者の意志がこれにあたる。
自由意志とは、二階の欲求と一階の行動が一致している状態である。強制とはこの一致を外部から壊すことだ。拷問による自白は、当人が望まない欲求によって行動させられるから不自由である。
この定式化は決定論の問題を回避する。行為の遠因が宇宙の歴史にさかのぼれるとしても、行為が行為者自身の意志の階層構造に合致していれば、道徳的責任は帰属しうる。
P.F. ストローソンの転換
ピーター・ストローソン(1919-2006)は1962年の論文「自由と怒り」で、問いの場所を形而上学から人間関係の実践へと移した。
道徳的責任を問うとき、私たちが実際に依拠しているのは感謝・憤り・賞賛・非難といった「反応的態度(reactive attitudes)」の共有された実践である。他者を行為者として扱うことは、こうした態度を向けることと一体である。決定論が宇宙論的に真かどうかは、この実践を無効化しない。
ストローソンの議論は、「真の自由意志が証明できないなら責任は問えない」という懐疑主義を解体する。責任は形而上学的事実の問題ではなく、人間関係に内在する実践の問題だからだ。
現代への示唆
1. 組織における責任の所在
「環境や育ちが決定しているなら、個人の責任はない」という論法は職場でも頻出する。両立論の回答は明快だ——環境が人を形成したとしても、その人の性格・判断・欲求が行為の原因である限り責任は帰属する。組織の失敗をすべて構造に帰責する議論の限界はここにある。責任の議論は、決定論の真偽を問う前に片づけられない。
2. 制約設計と自律性の両立
ルールや制度が人の行動を制約することは、自律を否定しない。両立論的に言えば、制約の枠内で自分の意志に従って行動することは「自由な行為」である。適切なルール設計は自律を損なわず、むしろ可能にする——コンプライアンスと主体性の緊張を解く視点を与える。
3. 動機の設計とエンゲージメント
フランクファートの階層モデルは、内発的動機の設計に応用できる。社員が「こう行動したい」と感じる二階の欲求と、日常の行動が一致している状態をつくることが、持続的なエンゲージメントの条件になる。単に一階の行動を外部から誘導するのではなく、二階の意志を育てることに組織設計の焦点をあてる発想である。
関連する概念
決定論 / 自由意志論 / 硬決定論 / 道徳的責任 / 反応的態度 / ヒューム / フランクファート / ストローソン / 非両立論
参考
- ヒューム『人間知性研究』(斉藤繁雄・一ノ瀬正樹 訳、法政大学出版局、2004)
- Harry G. Frankfurt, “Freedom of the Will and the Concept of a Person,” Journal of Philosophy, Vol. 68, No. 1, 1971
- P.F. Strawson, “Freedom and Resentment,” Proceedings of the British Academy, Vol. 48, 1962
- ダニエル・デネット『自由は進化する』(山形浩生 訳、NTT出版、2005)