メディチ家のルネサンス工房——イノベーション・エコシステムの原型
パトロネージ、工房、都市。メディチ家が築いた三位一体の創造装置が、なぜ200年にわたってイノベーションを生み続けたのか。
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ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598–1680)は、ローマ・バロックの頂点を体現した彫刻家・建築家。教皇ウルバヌス8世をはじめ歴代教皇の庇護を受け、サン・ピエトロ大聖堂のバルダッキーノや広場の列柱廊を設計した。大理石に動勢と感情を刻む技法は西洋彫刻史を画し、「全体芸術(ゲザムトクンストヴェルク)」の先駆けとも評される。
1525年頃生まれのフランドル人画家。農民の祭りや労働、聖書の寓話を同時代の風景に落とし込む独自の様式を確立した。代表作に『バベルの塔』『雪中の狩人』『農民の婚宴』がある。道徳的・社会的視点が絵画に織り込まれており、16世紀ネーデルラントの知的文化を映す鏡として現代も参照される。
ミシェル・ド・モンテーニュ(1533–1592)がフランス語で著した107篇の散文集。初版1580年。「クセジュ(私は何を知るか)」の問いを軸に、自己観察を通じて人間本性の普遍を探る。エッセイという文学ジャンルの創始であり、デカルト以降の近代哲学にも影響を与えた。
濡れた石灰漆喰に顔料を塗り込み、乾燥とともに壁と一体化させる壁画技法。古代ローマから受け継がれ、ジョット・マザッチョ・ミケランジェロがルネサンス期に頂点を極めた。一度塗った顔料の修正は極めて難しく、計画の精度と決断の速さが仕上がりを左右する。
1520年代にイタリアで生まれた美術様式。ラファエロ・ミケランジェロが到達した調和の頂点を前提に、それを意図的に変形・誇張することで独自の緊張感を生み出した。細長い人体、複雑な構図、人工的な色彩が特徴。パルミジャニーノ、ポントルモ、ブロンズィーノらが代表的担い手であり、16世紀後半にはプラハ宮廷を経て北ヨーロッパにも波及した。
壁や建築面に直接施される絵画の総称。ラスコーの洞窟壁画(前1万7000年頃)を起点に、エジプト・ポンペイ・ビザンティン教会・ルネサンスを経て、20世紀のメキシコ壁画運動や現代のストリートアートへと継承される。技法の代表はフレスコ——漆喰が湿潤なうちに顔料を塗り込む手法。
14世紀後半から16世紀初頭、アルノ川沿いの都市国家フィレンツェはヨーロッパ文化の震源地となった。メディチ家の財力と政治力が人文主義者・芸術家・科学者を集め、ダンテ・ボッティチェリ・レオナルド・ミケランジェロを輩出した。古典古代の復興を旗印に、人間の尊厳と能力を中心に据えた世界観が形成され、近代ヨーロッパの知的基盤を敷いた。
ウィリアム・シェイクスピアが1594〜96年頃に執筆したとされる悲劇。モンタギュー家とキャピュレット家の確執のなか、短い恋と死に至る二人の若者を描く。組織間対立が個人の意志を圧倒する構造は、現代のビジネス・政治状況に直結する古典的モデルとして読まれ続けている。
イタリア語「sgraffiare(引っ掻く)」を語源とする装飾技法。異なる色の素材を層状に重ね、上層を鋭利な道具で削り取ることで下層の色や模様を現出させる。古代ローマに起源を持ち、ルネサンス期のイタリア・中央ヨーロッパで建築外壁装飾として隆盛した。陶芸では現代も世界各地で用いられている。
本名ヤーコポ・ロブスティ(1518-1594)。父が染物職人(tintore)であったことから「小さな染め師」を意味する通称で後世に知られる。ミケランジェロの素描とティツィアーノの色彩を理想として掲げ、劇的な明暗対比と動的構図で独自の境地を開いた。サン・ロッコ同信会の大装飾連作が代表作。
本名ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488/90頃–1576)。ヴェネツィア派を代表する「色彩の王」。カール5世・フェリペ2世・教皇パウルス3世ら欧州の権力者から寵愛を受け、宮廷画家の地位を確立した。晩年の荒い筆触はルーベンス・レンブランンを経て印象派の先駆とも評される。
フィレンツェの作家ジョヴァンニ・ボッカチオが一三四九年から一三五三年にかけて執筆した物語集。黒死病が猛威を振るう都市を逃れた七人の女性と三人の男性が、郊外の別荘で十日間にわたり一人一日一話、計百話を語る。中世の宗教的世界観を相対化し、ルネサンスの到来を告げた記念碑的作品である。
ニュルンベルク生まれのドイツ・ルネサンス最大の画家・版画家・理論家。イタリアに二度遊学し、北方の精密描写と南方の古典理論を統合した。木版画『黙示録』、銅版画『騎士と死と悪魔』『メレンコリア I 』、自画像で知られ、版画を印刷物から芸術作品へと押し上げた。
イタリア・フィレンツェ近郊ヴィンチ村生まれの画家・彫刻家・建築家・技師・科学者。絵画では『モナ・リザ』『最後の晩餐』『岩窟の聖母』を残しつつ、解剖学・水理学・飛行装置・土木など膨大な手稿を遺した。芸術と科学が一つの探究だった時代を象徴する存在。
1420年代、建築家ブルネレスキが洗礼堂の実験で定式化し、アルベルティが『絵画論』(1435)で理論化した一点透視図法。消失点と水平線を設定し、距離に応じて対象を縮小することで、絵画に数学的に正確な三次元空間を作り出す技法。西洋美術の空間表現の基礎となった。
カプレーゼ生まれのイタリア・ルネサンス盛期の芸術家。フィレンツェとローマで活動し、彫刻『ピエタ』『ダビデ』『モーセ』、絵画『システィーナ礼拝堂天井画』『最後の審判』、建築サン・ピエトロ大聖堂クーポラを残した。人体表現の到達点として西洋美術の基準となった。
15世紀ネーデルラントを中心に、ドイツ・フランスへ広がった北欧のルネサンス美術運動。ファン・エイク兄弟による油彩画技法の革新、微細なディテール描写、室内光の精緻な再現を特徴とする。イタリア的な理想化よりも、現世と宗教の具体を精密に描くことを好んだ。
ウルビーノ生まれのイタリア・ルネサンス盛期の画家・建築家。37歳の短命ながら、ペルジーノの優雅さ、レオナルドのスフマート、ミケランジェロの力強さを総合し、古典的調和の頂点を築いた。ヴァチカン署名の間『アテナイの学堂』、マドンナ像群、サン・ピエトロ大聖堂設計で知られる。
14世紀のジョット以降、15世紀フィレンツェで体系化され、16世紀ローマ・ヴェネツィアで頂点に達したイタリア絵画の古典様式。線遠近法・大気遠近法・解剖学的正確さを基礎に、人間と自然を理想的に描く視覚言語を確立した。古代ギリシア・ローマへの回帰と人文主義が土台となった。