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概要
ザハ・ハディド(Zaha Hadid、1950–2016)は、イラクのバグダッドに生まれ、英国で活躍した建築家。ロンドンの建築協会付属建築学校(AA)で学び、師レム・コールハースのもとで頭角を現した後、1980年にザハ・ハディド・アーキテクツ(ZHA)を設立した。
その建築は直角と水平を拒絶し、流体のように連続する曲面、互いに交差する斜面、重力と格闘するような張り出しによって特徴づけられる。「紙の上の建築家」と揶揄された1980〜90年代を経て、2000年代以降は代表作を次々と竣工させ、現代建築の最前線に立ち続けた。
2004年、プリツカー建築賞の審査委員会は「彼女の建築は空間の新しい文法を発明した」と評し、同賞史上初めて女性建築家に栄誉を授けた。2016年3月、心臓発作により65歳で急逝した。
建築の言語——流動と連続
ハディドの設計思想の核にあるのは「固定した境界の解体」である。床・壁・天井という建築の三要素を断絶した平面として扱わず、一枚の連続した曲面として統合することで、内部空間に方向感と流動性をもたらす。
この思想を実現したのがパラメトリックデザインの手法である。コンピューター上でパラメータを操作しながら形態を生成し、構造と美学を同時に解く。従来の製図では描けなかった形状が、デジタルファブリケーション技術の進化とともに施工可能となり、ハディドの構想が現実の建物に転化されるようになった。
代表作には以下が挙げられる。
- ローマ国立21世紀美術館 MAXXI(2009)——白い流線が折り重なるコンクリートの迷宮
- 広州オペラハウス(2010)——川辺の二つの岩石をモチーフにした双核構造
- ロンドン・アクアティクスセンター(2012年ロンドン五輪)——波打つ屋根が水の動きを視覚化
- アゼルバイジャン・ヘイダル・アリエフセンター(2013)——白い外皮が地面から連続して立ち上がる一体形状
先駆者としての軌跡——障壁と突破
ハディドが歩んだ道は、建築の革新と同時に社会構造への対峙でもあった。1980年代の段階で、女性かつ中東出身の建築家がロンドンの設計業界で実績を積むことは、二重の意味で例外的だった。
1994年のカーディフ・ベイ・オペラハウス設計競技では最優秀賞を獲得しながら、施主が別の建築家に発注するという異例の事態が生じた。ハディドはこれを公然と批判し、建築界における選考プロセスの透明性を問い続けた。
その姿勢は晩年まで変わらなかった。「私はシステムに合わせて自分を変えなかった。システムが変わるまで待った」という発言は、彼女のキャリアを一言で要約する。2012年、英国女王よりデイム(DBE)の称号を授与された。
現代への示唆
1. 「実現不可能」は時代の制約であることが多い
1980〜90年代のハディドの図面は施工技術の限界から「建てられない建築」と呼ばれた。それが2000年代のCNCファブリケーションとBIMの普及によって現実となった。構想の正しさと実現可能性は別問題である。見かけ上の不可能性が技術の壁か本質的な矛盾かを見分けることは、事業開発においても重要な判断軸となる。
2. 差異化は不利にも資産にもなる
ハディドのスタイルは長年「奇抜」「実用性に欠ける」と批判された。同じ特性が後に「唯一無二のブランド」として世界的な競争優位に転化した。差異化要素をいつ・どう市場に接続するかが、先駆者の成否を分ける。
3. 組織的継続性の設計
ハディドの急逝後、ZHAはパートナーのパトリック・シューマッハが率い、500人規模の事務所として活動を続けている。創業者の個性に依存しながらも組織として持続する構造を作ったことは、専門サービス業のサクセッションプランとして参照価値がある。
関連する概念
脱構築主義建築 / パラメトリックデザイン / レム・コールハース / プリツカー建築賞 / デジタルファブリケーション / BIM(建築情報モデリング)
参考
- Hadid, Zaha and Patrik Schumacher. Zaha Hadid: Complete Works 1979–2009. Thames & Hudson, 2009
- 伊東豊雄ほか「ザハ・ハディドと現代建築の転換」『建築雑誌』2016年6月号、日本建築学会
- Pritzker Architecture Prize Jury Citation, 2004(公式ウェブサイト)