歴史 2026.04.14

オイルショック

1973年と79年、原油価格急騰が世界経済を直撃。高度成長の終わりと省エネ時代の起点。

Contents

概要

オイルショック(石油危機)は、1970年代に二度発生した原油価格の急騰とそれに伴う世界経済の混乱を指す。

第一次(1973)は原油価格を4倍に、第二次(1979)はさらに3倍に跳ね上げた。資源への依存度が高かった日本経済は特に大きな打撃を受け、戦後の成長モデルの転換を迫られた。

経過

1973年10月、第四次中東戦争勃発に伴い、OPEC(石油輸出国機構)は原油価格の大幅引き上げと、親イスラエル国への禁輸を宣言した。日本ではトイレットペーパー買い占め騒動が起こり、73年度物価上昇率は23%に達した。

74年、日本の実質GDPは戦後初のマイナス成長(-1.2%)を記録。春闘賃上げ率も前年比約33%となり、「狂乱物価」の時代となった。

第二次(1979)はイラン革命とイラン・イラク戦争による供給不安が原因だが、日本企業はすでに省エネ体制を整えており、他国より打撃は軽かった。むしろ、燃費の良い日本車の対米輸出が急増する契機となった。

背景・影響

構造的背景には、1971年のニクソン・ショック(ドルの金兌換停止)による国際通貨体制の動揺と、資源ナショナリズムの高揚があった。戦後の低廉な資源・安定した通貨という先進国の前提が崩れたのである。

日本政府・企業は対応として、省エネルギー技術への大規模投資、産業構造の重化学工業から加工組立型(自動車・電機)への転換、省エネ製品の開発を進めた。

結果として、日本は「危機に強い国」としての評価を得て、80年代の貿易黒字と米国との摩擦の原点となった。同時に、高度成長は終わり、安定成長期(年率4〜5%)に移行した。

現代への示唆

制約は競争力の源泉となる

資源がないからこそ日本の省エネ技術は世界一になった。環境規制・人口減少など、制約を嘆くより設計条件として取り込む発想が競争力を生む。

「前提が壊れる」ことへの備え

安い原油・固定相場という「当たり前」が一瞬で崩れた。事業計画の根底にある前提を定期的に棚卸しする習慣が、危機耐性を作る。

2度目は1度目より上手く処理できる

第二次オイルショックで日本の打撃が小さかったのは、1度目の経験があったからだ。組織の学習能力は、危機対応を2度目以降に活かせる構造にあるかで測られる。

関連する概念

  • OPEC
  • 狂乱物価
  • 省エネ技術
  • ニクソン・ショック

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