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概要
バブル崩壊とは、1989年12月に日経平均3万8915円の史上最高値をつけた株式市場と、同時期にピークに達した地価が、1990年から急激に下落した事象を指す。
その後の日本経済は、金融危機、デフレ、雇用・賃金の停滞、財政赤字の累増に苦しみ、2020年代に至るまで名目GDPはほぼ横ばいを続けた。
経過
1990年、大蔵省による不動産融資総量規制と日銀の利上げを契機に、株価・地価が急落。93年には「平成不況」と呼ばれる本格的景気後退に入った。
97年、山一証券・拓銀が経営破綻し、金融システム危機が顕在化。98年には日本長期信用銀行・日本債券信用銀行が国有化された。
2000年代、小泉政権下での不良債権処理と竹中平蔵の金融行政により、一時的に景気は回復。しかし2008年のリーマン・ショック、2011年の東日本大震災で再び打撃を受け、デフレと低成長が常態化した。
2013年からのアベノミクスは円安・株高を実現したが、名目賃金・消費は低迷したままであった。
背景・影響
バブル期、日本の土地総額は米国全土の4倍と試算され、東京の山手線内側の地価で米国全土が買える計算だった。崩壊後、不動産担保の不良債権は銀行を圧迫し、貸し渋り・貸し剥がしが中小企業を苦しめた。
より構造的な問題は、人口減少と高齢化の同時進行である。15〜64歳の生産年齢人口は1995年にピークアウト、バブル崩壊後ずっと減少を続けた。
雇用面では非正規化が進行し、若年層の賃金は長期的に低下。結果として結婚・出産の機会が縮小し、少子化が加速した。バブル崩壊は金融事象にとどまらず、社会構造の変質を伴っていた。
現代への示唆
好景気の末期にこそ規律が要る
バブル期の不動産融資は「ストップをかけられた者が正しかった」が、当時は少数派だった。好景気ほど、逆張りの判断に勇気が要る。
危機対応の遅延は利息を付けて返ってくる
不良債権処理は10年遅れた。早期処理すれば軽傷だったものが、放置により致命傷となる。企業の赤字事業からの撤退判断にも同じ構造がある。
国の停滞は個人の成長を止めない
国全体が低成長でも、個別企業・個人は伸びてきた。マクロの逆風を個別の戦略に結びつけて悲観しすぎないことが、長期戦の戦い方となる。
関連する概念
- [プラザ合意]( / articles / plaza-accord)
- 不良債権問題
- デフレ
- アベノミクス