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概要
間主観性(Intersubjectivity / Intersubjektivität)は、複数の主観が互いに関わり合い、共通の意味世界を構成するプロセスを指す哲学概念である。
哲学の伝統的な難問として、「私という主観」と「客観的な外部世界」の断絶がある。間主観性はその断絶を乗り越えようとする試みである——二つ以上の主観が相互に他者を認め合うことで「共有された現実」が生まれるメカニズムを問う。
概念の端緒はエドムント・フッサール(1859-1938)の晩期現象学にある。1929年公刊の『デカルト的省察』第五省察で、フッサールは他者の意識をいかにして認識できるかという「他者問題」に本格的に取り組んだ。
フッサールの問い——他者はいかにして知られるか
フッサールの出発点は「意識は常に誰かの意識である(志向性)」という前提である。私の経験は私の視点からしか与えられない。では、他者の意識は「他者のもの」としていかにして認識されるのか。
フッサールが提出した解答が「感情移入(Einfühlung)」と「対化(Paarung)」の概念である。他者の身体は私の身体に似ている。私はそれに類比的に「あの身体にも意識がある」と移調する。この移調によって他者は「別の主観」として構成される。そして私と他者が「共通の世界を共に知覚している」という確信——間主観性——が成立する。
「他者は、私の志向的生の変様として、私にとって存在する。しかし他者は、私の単なる表象ではなく、それ自体として存在する別の自我である。」 ——フッサール『デカルト的省察』第五省察(1931)
この洞察は「独我論(自分だけが存在するという閉塞)」を突破するための哲学的装置として提示された。
継承と展開——シュッツ・メルロ=ポンティ・ハーバーマス
フッサールの問題設定は、三つの方向へ継承された。
アルフレッド・シュッツ(1899-1959)は間主観性を社会理論に接続した。日常生活における「自然的態度」——世界を自明のものとして受け取る姿勢——は、他者との意味の共有によって支えられている。社会秩序はこの間主観的な意味共有の上に成立する。シュッツの議論はバーガーとルックマンの『現実の社会的構成』(1966年)へと連なり、知識社会学の基礎を形成した。
モーリス・メルロ=ポンティ(1908-1961)は身体に焦点を当てた。間主観性の基盤は概念的思考ではなく、共に動き共に知覚する「身体間性(intercorporéité)」にあると主張した。握手するとき、私の手と他者の手は互いを感じ合う。この身体的な相互性こそが「共に在る」の原初的形態である。
ユルゲン・ハーバーマス(1929-)は言語に着目した。『コミュニケーション的行為の理論』(1981年)において、間主観性を言語的合意形成として再定式化した。有効な発話には「真理性・誠実性・正当性」という妥当性要求が伴う。対話者がその要求を相互に承認し合うとき、共通の意味が成立する。これは民主主義的討議の哲学的根拠でもある。
現代への示唆
1. 「共通理解」は自明ではない
同じ会議に出席していても、参加者はそれぞれ異なる解釈をしている。間主観性の概念は、共通理解が意図的に構築されなければ成立しないことを示す。「伝えた」と「伝わった」の乖離は間主観性の失敗として捉え直せる。
2. 合意はプロセスである
ハーバーマスの視点から言えば、組織の意思決定における合意は多数決ではなく、相互の妥当性承認によって形成される。形式的な承認だけで相互理解が伴わなければ、決定は実行段階で空洞化する。
3. 身体性と対面コミュニケーション
メルロ=ポンティの身体論は、テキストや映像では代替できない間主観的な共鳴の存在を示唆する。空間・呼吸・微細な身振りの共有は、信頼形成の原初的基盤として機能している。リモートワーク時代における対面の価値を問い直す哲学的根拠がここにある。
関連する概念
フッサール / [現象学]( / articles / phenomenology-husserl) / 志向性 / 独我論 / 他者問題 / アルフレッド・シュッツ / メルロ=ポンティ / ユルゲン・ハーバーマス / コミュニケーション的合理性 / 社会的構成主義
参考
- 原典: エドムント・フッサール『デカルト的省察』(浜渦辰二 訳、岩波文庫、2001)
- 原典: ユルゲン・ハーバーマス『コミュニケーション的行為の理論』(河上倫逸ほか訳、未来社、1985-1987)
- 研究: 浜渦辰二『フッサール間主観性の現象学』(創文社、1995)
- 研究: 山口一郎『間主観性の現象学』(ちくま学芸文庫、2012)