科学 2026.04.15

デフォルトモード・ネットワークと戦略思考——ぼんやりする権利

戦略はタスクの合間には生まれない。脳が休息したときに活性化するネットワークが、洞察と創造の源泉だ。

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予定表の隙間が消えたCEO

ある経営者に、一週間の予定表を見せてもらったことがある。朝7時の朝食ミーティングから始まり、15分刻みの会議、移動中の電話、夜の会食まで、文字通り「隙間がない」スケジュールだった。

彼は誇らしげに言った。「時間は無駄にしない主義でして」。

しかしその後の1時間、新規事業の方向性について議論したとき、彼の発想は驚くほど単調だった。既存事業の延長線の話しか出てこない。過去のベストプラクティスの引用ばかりが続く。抽象化された洞察や、意外な結合が、ほとんど生まれない。

彼は時間を無駄にしていなかった。彼が失っていたのは、時間ではなく、脳のモードだった。

「ぼんやりしているとき」に脳はサボっていない

2001年、神経科学者マーカス・レイクルが、fMRI研究の中で奇妙な現象に気づいた。被験者が特定のタスクをしていないとき、つまり「何もしていない」はずの休息時に、脳のある領域群が一貫して活性化していたのだ。

この領域群は、後にデフォルトモード・ネットワーク(DMN)と命名された。内側前頭前野、後部帯状回、楔前部、側頭頭頂接合部などで構成され、脳のエネルギーのかなりの部分を、「何もしていないとき」に消費していることが分かった。

DMNは何をしているのか。研究が進むにつれて、次のような働きが明らかになってきた。

  • 記憶の整理と統合
  • 自己参照的な思考(自分はどんな人間か、という内省)
  • 他者の視点の想像(相手はどう感じているか)
  • 未来のシミュレーション(こうなったら、どうなるか)
  • 一見無関係な情報の結合(創造的洞察)

つまり、DMNは「戦略思考そのもの」を担っている。断片的な情報を、意味のあるパターンに織り上げる作業だ。

アナロジー——タスクモードと戦略モードは共存しない

脳には、大きく分けて二つの作業モードがある。

一つは「タスクポジティブ・ネットワーク」。目の前の課題に集中するモードだ。メールを返す、資料をチェックする、会議で発言する——こうした外向きの活動を支える。

もう一つがDMNだ。内向きのモード。情報を統合し、自己を参照し、抽象化する。

重要なのは、この二つは同時に働かないということだ。タスクに集中しているとき、DMNは静かになる。逆に、ぼんやりしているとき、DMNは活発になる。

多くの経営者が陥っている罠はここにある。予定表を隙間なく埋めれば埋めるほど、タスクモードは稼働し続ける。しかし、戦略を生む脳のモードは、その間ずっと眠っている。

「忙しくて戦略を考える時間がない」という悩みは、実は時間の問題ではない。脳のモードを切り替える機会がない、という神経学的な問題なのだ。

シャワー、散歩、電車の窓——洞察はなぜそこで生まれるのか

「いいアイデアはシャワー中に浮かぶ」というのは、単なる都市伝説ではない。脳科学的には、いくつかの条件が揃っている。

  • 外的なタスクから解放されている
  • 軽い単調な刺激(水音、歩行のリズム、車窓の景色)がある
  • デジタルデバイスによる情報の断片化がない

スティーブ・ジョブズが長い散歩を好んだこと。ダーウィンが毎日決まった道を歩いたこと。アインシュタインが退屈な特許局の仕事の中で相対性理論の核心を着想したこと。これらは偶然ではない。

近年、「Walking Meetings」を導入する企業が増えているのも、同じ文脈で理解できる。歩きながらの対話は、DMNと軽いタスクモードの中間で、戦略的な会話に独特の深みをもたらす。

一方、スマートフォンを5分おきにチェックする習慣は、DMNを起動させる機会を完全に奪う。通勤電車でニュースアプリをスクロールし続ける時間、それは脳の戦略モードを眠らせ続ける時間でもある。

ぼんやりする権利を、経営技術として設計する

戦略思考を取り戻すために、リーダーは意図的にDMNを起動させる時間を設計する必要がある。

1. 予定表に「空白」を予約する

週に数時間、「何もしない時間」をカレンダーに入れる。予定として扱わなければ、必ず他の用事で埋まる。この時間は散歩、運転、あるいは窓を眺めるだけでもいい。目的は「何も生産しないこと」だ。

2. 移動中にデバイスを見ない日を設ける

通勤や出張の移動時間は、本来DMNが最も活性化しやすい時間だ。ここをメール処理やニュース閲覧で埋めてしまうのは、最大の浪費になる。週に1日でもスマートフォンを鞄から出さない移動を試すと、発想の解像度が変わる。

3. 眠りの前の30分を「入力禁止」にする

就寝前の情報摂取は、DMNによる記憶の整理を妨げる。新規情報を入れず、思考を漂わせる時間を作ると、翌朝に未解決だった問題の輪郭が違って見えることが多い。

4. 一人で食べる昼食を週に数回確保する

リーダーは昼食まで会食で埋めがちだ。しかし一人で、メニューも決めず、軽く歩きながら何かを食べる時間は、午後の思考の質を大きく変える。

あなたの脳は、戦略モードに入る時間があるか

経営者の仕事は、目の前の課題を処理することではない。課題の間にあるパターンを見つけ、組織の向かう先を描くことだ。

その仕事は、会議室では完結しない。プレゼン資料の中でも、Excelのシートの中でも完結しない。それは、予定表の外側、ぼんやりとした時間の中で、静かに進行している。

あなたは最近、最後にぼんやりしたのはいつだろうか。そして、そのとき頭に浮かんだ問いを、きちんと書き留めただろうか。

忙しさは、仕事をしている証拠ではなく、戦略を考えていない証拠かもしれない。

著者

道家俊輔

道家俊輔

株式会社ギアソリューションズ。歴史・哲学・宗教のアナロジーから、現代ビジネスリーダーの意思決定を考察。

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