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概要
幹細胞(Stem Cell)とは、自己複製能——自らと同じ細胞を生み出す能力——と多分化能——複数種類の細胞に分化する能力——を併せ持つ細胞の総称である。
成体の骨髄や皮膚、腸の粘膜上皮は絶えず新陳代謝しているが、その供給源として組織特異的幹細胞が機能している。生命が誕生から死に至るまで、幹細胞は組織の恒常性を支え続ける。
概念として確立されたのは 1960 年代初頭である。カナダの生物学者 ジェームズ・ティル と アーネスト・マッカロック が、マウスの骨髄細胞を致死線量の放射線照射を受けたマウスに移植し、脾臓にコロニーを形成する自己複製細胞の存在を実験的に示した(1961年)。これが幹細胞研究の出発点とされる。
幹細胞の種類と能力の階層
幹細胞は「分化の幅」によって階層的に分類される。
受精卵は全能性(Totipotency)を持ち、胎盤を含むあらゆる組織になり得る。これが発生を経て、多能性(Pluripotency)を持つ胚性幹細胞(ES細胞)へと変わる。ES細胞は体を構成するほぼすべての細胞に分化できる。さらに分化が進むと、特定系統の細胞にしか分化できない多分化能(Multipotency)の組織幹細胞になる。
代表的な幹細胞の種類は以下の通りである。
- 胚性幹細胞(ES細胞): 胚盤胞の内部細胞塊に由来。多能性が高い一方、ヒト胚の破壊を伴うため倫理的問題が伴う
- 人工多能性幹細胞(iPS細胞): 山中伸弥が 2006 年に開発。成熟した体細胞に四つの転写因子(Oct4, Sox2, Klf4, c-Myc)を導入し、多能性を再プログラムする
- 造血幹細胞: 骨髄に存在し、血液細胞すべての起源となる。白血病治療における骨髄移植の標的
- 間葉系幹細胞: 骨・軟骨・脂肪などに分化できる。炎症制御作用から免疫療法への応用が研究される
iPS細胞と山中ファクター
2006 年、京都大学の山中伸弥(当時)はマウスの皮膚細胞から iPS 細胞(induced Pluripotent Stem Cell)を作製し、世界を驚かせた。翌年にはヒト細胞でも成功し、2012 年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
iPS 細胞の革命的な点は二つある。一つは、倫理的問題のある胚を使わずに多能性幹細胞を作れること。もう一つは、患者本人の細胞から幹細胞を作製できるため、免疫拒絶のリスクを大幅に低減できることである。
現在は網膜色素上皮細胞、心筋細胞、神経細胞などへの分化技術が確立されつつあり、加齢黄斑変性・パーキンソン病・心不全を対象とした臨床試験が世界各地で進行している。
ニッチという概念——幹細胞の生態学
幹細胞は単独で機能するのではなく、周囲の微小環境——ニッチ(niche)——と不可分の関係にある。ニッチとは、幹細胞の自己複製と静止状態を制御する解剖学的な場のことである。
骨髄における造血幹細胞のニッチは骨内膜近傍に形成され、骨芽細胞・血管内皮細胞・ストロマ細胞がシグナル分子を通じて幹細胞の「眠り」と「覚醒」を管理する。ニッチが破綻すると、幹細胞の過剰増殖や枯渇が起き、白血病や造血不全につながる。
ニッチの概念は 1978 年にレイモンド・スコフィールドが提唱した。今日では幹細胞の挙動を語る上で欠かせない枠組みである。
現代への示唆
1. 組織の「再生源」をどこに置くか
幹細胞が特定のニッチに保護されることで組織全体の恒常性が維持されるように、組織においても変革を担う人材を適切な環境に配置し保護することが、長期的な組織の再生力に直結する。潜在能力の高い人材を消耗ポジションに置けば、ニッチの破綻と同様の結果をもたらす。
2. 再プログラムという発想
iPS 細胞の登場は「一度分化した細胞は元に戻せない」という生物学の常識を覆した。組織・事業においても、既存の専門家に新しい刺激(山中ファクターに相当するもの)を与えることで、多能性を再獲得させることができる。キャリアの多能性と専門性の再設計は、生物学的文脈では突飛な発想ではない。
3. 創薬・治験リードタイムの短縮
iPS 細胞由来の疾患モデル細胞は、患者由来の組織サンプルをほぼ無制限に供給できる。製薬産業における新薬開発の初期スクリーニングが大幅に加速する可能性があり、バイオベンチャーへの投資判断においても技術的ベースラインとして理解する価値がある。
関連する概念
細胞分化 / 発生学 / エピジェネティクス / ノーベル生理学・医学賞 / 再生医療 / クローン技術 / ゲノム編集(CRISPR-Cas9)
参考
- 原典: Till, J.E. & McCulloch, E.A. “A direct measurement of the radiation sensitivity of normal mouse bone marrow cells.” Radiation Research, 14, 1961
- 原典: Takahashi, K. & Yamanaka, S. “Induction of pluripotent stem cells from mouse embryonic and adult fibroblast cultures by defined factors.” Cell, 126(4), 2006
- 研究: 山中伸弥・緑慎也『iPS細胞——革命的な医療への挑戦』角川書店、2012
- 研究: 浅島誠『幹細胞の科学』岩波書店、2011