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概要
ニューディール(New Deal)は、1933年3月にアメリカ大統領に就任したフランクリン・D・ルーズベルト(FDR)が、世界恐慌下のアメリカで展開した一連の経済・社会政策の総称である。
「新規まき直し」を意味する名称のもと、従来の自由放任主義から政府の積極的な経済介入へと、アメリカの政治経済思想を転換させた。その影響は第二次大戦後の世界の福祉国家モデルの基礎となった。
経過
就任直後の「最初の100日」(1933年3-6月)で矢継ぎ早に法案を成立させた。緊急銀行法(銀行休業と健全行のみ再開)、連邦預金保険公社の創設、農業調整法(AAA、生産調整で農産物価格支持)、全国産業復興法(NIRA、産業別コードによる競争調整と雇用安定)、テネシー川流域開発公社(TVA、公共事業による地域開発)が中心となった。
1935年からの「第二次ニューディール」では、ワーグナー法(全国労働関係法、労働者の団結権・団体交渉権保障)、社会保障法(老齢年金・失業保険・公的扶助)、公共事業促進局(WPA、失業者の直接雇用)が導入された。
最高裁は1935年にNIRAを、1936年にAAAを違憲判決としたが、1937年以降の判例変更により政府介入政策の合憲性が確立した。
恐慌からの完全回復は第二次大戦の戦時需要を待つことになるが、ニューディールは金融・労働・福祉・農業・インフラの全領域で、以後の米国経済政策の基礎枠組みを作った。
背景・影響
思想的背景にはケインズ経済学がある。ケインズの『一般理論』(1936)はニューディール後に出版されたが、FDR周辺のブレーン・トラスト(コロンビア大学系の知識人集団)は同様の発想を独自に形成していた。
政治的には、民主党に労働者・黒人・南部農民・移民などの「ニューディール連合」を形成し、1960年代まで続く長期優位政党化を実現した。一方、保守派からは「社会主義化」として批判され、現代米国政治のリベラル対保守の構造はこの時期に原型が作られた。
国際的には、スウェーデンのサルトシェーバーデン協定(1938、労使協調)、英国のベヴァリッジ報告(1942、社会保険)、日本の戦後の社会保障制度など、各国の福祉国家化に影響を与えた。
現代への示唆
危機対応の「最初の100日」
FDRは就任直後の短期集中で政策パッケージを立法化した。組織の方針転換・CEO就任初期の集中実行は、改革の成否を決める。危機対応にはタイミングの集中が必要である。
多面的介入の設計
単一の施策ではなく、金融・産業・労働・福祉・インフラを同時に動かすことで相互補完を生んだ。複雑な問題には、複数レバーの協調的操作が効く。
正統性の動的な確保
最高裁との対立、憲法修正の試み(コート・パッキング)、世論形成(炉辺談話)など、政策実行と並行して正統性を動的に確保した。制度変更には、政策設計に加えて政治的プロセスの設計が必要である。
関連する概念
- フランクリン・ルーズベルト
- ケインズ経済学
- TVA
- 社会保障法
- 福祉国家