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「許可を取るな、謝罪しろ」の帰結
シリコンバレーには「許可を取るより謝罪する方が簡単だ(It’s easier to ask forgiveness than permission)」という格言がある。スタートアップの文脈では、スピード重視の実行力を讃える言葉として使われる。
しかしこの格言には、致命的な前提がある。「結果が良ければ許される」という前提だ。
結果が良ければ許される——この論理が組織に定着した時、何が起きるか。その答えを、90年前の満州が教えてくれる。
板垣と石原の「成功」
1931年9月18日夜、関東軍参謀の板垣征四郎と石原莞爾は、南満州鉄道の線路を自作自演で爆破し、それを中国軍の仕業と発表して奉天を占領した。柳条湖事件である。
東京の若槻内閣は「不拡大方針」を閣議決定した。参謀本部にも関東軍の独断に反対する声があった。しかし関東軍はこれを無視して軍事行動を拡大し、数か月で満州全域を制圧した。
決定的だったのは、この後である。板垣と石原は処罰されなかった。処罰されないどころか、軍功を認められ、以後も昇進を続けた。
組織のルールを破り、中央の指示を無視し、偽の情報で行動を正当化した人間が——結果的に成功したという理由で——報われた。
「成功した違反」が前例になる
この「成功した違反」が、日本軍の組織文化に何をもたらしたか。
前例ができた。「中央の許可がなくても、結果を出せば追認される」というテンプレートが確立された。以降、同じパターンが繰り返される。
1937年の盧溝橋事件。現地で停戦が成立した同日に、近衛内閣は3個師団の動員を決定した。現場と中央の乖離は、満州事変と同じ構造だった。日中戦争は不拡大方針のもとで8年間の泥沼に陥る。
同年12月の南京攻略。南京への追撃は当初の作戦計画にはなかった。現地軍の独断で決定され、大本営は追認した。補給線が伸びきった状態での拡大は兵站崩壊と軍紀弛緩を招き、大規模な暴行事件に至った。
1939年のノモンハン事件。関東軍が中央の指示を待たず、独自判断で国境紛争を拡大させた。ソ連軍の近代装備に惨敗したが、この教訓は組織的に蓄積されなかった。
満州事変→盧溝橋→南京→ノモンハン。「成功した違反」は一つの事件で終わらない。組織文化として根を下ろし、次の違反を生み、さらに深刻な帰結をもたらす連鎖を引き起こす。
現場の暴走を追認する三つの力学
なぜ中央は現場の暴走を止められなかったのか。その力学は、現代の企業組織にもそのまま当てはまる。
1. 既成事実の前に方針は無力になる
関東軍が占領してしまった以上、「撤退しろ」と命じることは政治的に困難だった。現場が先に動き、結果を出してしまえば、本社は追認する以外にない。支社が勝手に始めた案件が売上を立ててしまった時、本社にそれを白紙に戻す意思があるか。
2. 「成功」が反論を封じる
「結果を出しているのに、何が問題なのか」——この論理は反論が難しい。プロセスの問題を指摘する声は、成果の前に正当性を失う。しかし、正しいプロセスなしに得た成果は再現性がなく、組織の学習を阻害する。
3. 処罰のコストが高い
違反者を処罰すれば、その成果も否定しなければならない。満州国の存在を否定し、軍功を取り消し、板垣と石原を処分する——それは組織にとって、違反を黙認するよりはるかにコストが高い判断だった。短期的なコスト回避が、長期的な組織崩壊の種を蒔く。
ガバナンスは「違反しなかった時」に試される
ガバナンスの真価が試されるのは、違反が発覚した時ではない。「違反が成功した時」にどう対応するかで決まる。
失敗した違反を罰するのは簡単だ。誰もが「だから言っただろう」と言える。しかし成功した違反を罰するには、目の前の成果を捨てて原則を守る覚悟がいる。
1. 結果と過程を分離して評価する
成果が出たことと、正しい方法で達成されたことは別の問題である。結果が良くても、プロセスに違反があれば、それを明確に指摘する仕組みが必要である。
2. 「成功した違反」こそ厳しく扱う
組織文化を守るために最も重要な局面は、違反が成功した時の対応である。「結果オーライ」で流せば、次の違反者は確実に現れる。「結果は認めるが、方法は認めない」を明示的に伝えることが、ガバナンスの根幹を維持する。
3. 「前例」を意識して判断する
今この判断をすれば、それが組織の前例になる。「今回だけは特別」という例外処理は、2回目には「前例がある」に変わる。すべての判断は、未来の判断に影響を与える。
あなたの組織に「成功した違反」はないか
板垣と石原は処罰されず、満州事変は「成功」として組織に記憶された。その「成功」が、盧溝橋を、南京を、ノモンハンを、そして最終的には太平洋戦争を準備した。
あなたの組織で、ルールを破って成果を出した人間はいないだろうか。その人は、どう評価されただろうか。
もし「結果オーライ」で流されたのなら、その瞬間にガバナンスのひび割れは始まっている。ひびが入った壁は、次の衝撃で崩れる。
この論考で参照している辞書項目
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満州事変
1931年9月18日、関東軍が南満州鉄道を自作自演で爆破(柳条湖事件)し、満州全域を軍事占領した事変。政府も参謀本部も独断を追認するしかなかった。この『成功した違反』が処罰されなかったことで、現場の独断専行が組織文化として定着し、日中戦争・太平洋戦争への道を開いた。
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盧溝橋事件
1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で日中両軍が衝突した事件。日本政府は『不拡大方針』を表明したが、軍部内の拡大派と現場の既成事実に押され、戦線は際限なく拡大。局地的な銃撃戦が8年間の日中全面戦争の引き金となった、エスカレーションの典型例。
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南京事件
1937年12月、日中戦争で南京を占領した日本軍が、捕虜・敗残兵・民間人に対して大規模な暴行・殺害を行った事件。犠牲者数には諸説あるが、日本政府も『非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない』と公式に認めている。急速な進軍による兵站崩壊と軍紀弛緩が重なった、組織統制の失敗事例。
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ノモンハン事件
1939年5月〜9月、満州国とモンゴル人民共和国の国境地帯で起きた日ソ間の局地戦。関東軍の独断専行と情報軽視により、近代装備で劣勢のはずのソ連軍に日本軍が完敗した。『失敗の本質』が最初の事例として取り上げた、日本軍の組織的欠陥の原型。
著者
道家俊輔
株式会社ギアソリューションズ。歴史・哲学・宗教のアナロジーから、現代ビジネスリーダーの意思決定を考察。