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概要
『魔の山』(Der Zauberberg)は、トーマス・マン(一八七五-一九五五)が一九一二年から執筆を始め、第一次世界大戦を挟んで一九二四年に刊行した長編小説である。
当初は妻の結核療養の見舞い経験から短い挿話として構想されたが、世界大戦という歴史的経験を経て、二十世紀初頭のヨーロッパ精神を総括する大作となった。
あらすじ
ハンブルクの青年ハンス・カストルプは、スイス・ダヴォスの国際的な結核療養所「ベルクホーフ」で療養中の従兄ヨアヒムを、三週間の予定で訪ねる。
しかし到着後、ハンス自身も微熱を発し、医師から滞在延長を勧められる。そのまま七年にわたり山上にとどまることになる。
人文主義者・共和主義者のイタリア人セテムブリーニと、反近代的イエズス会士ナフタが、ハンスをめぐって激烈な思想論争を繰り広げる。ロシア人マダム・ショーシャへの恋、オランダ人ペーペルコルンとの出会い、霊媒実験、雪山で迷って見る夢。時間の感覚は平地のそれから乖離する。
一九一四年八月、世界大戦が勃発し、ハンスは山を下りて戦場へ赴く。砲火のなか、彼の姿は見失われ、小説は「愛の理念を知る日は、この世界から生まれるだろうか」という問いで閉じる。
意義
本作は、病と健康、時間と空間、啓蒙と反啓蒙、生と死の対立の全領野を、療養所という閉じた空間に凝縮させた。教養小説(Bildungsroman)の伝統を引き継ぎつつ、近代のゆきづまりを見つめ直す試みだった。
セテムブリーニとナフタの論争は、ヨーロッパの思想対立そのものであり、ハンスの「中間的立場」は第一次大戦前のドイツ知識人の鏡像である。
現代への示唆
日常から引き離された時間の効用
ハンスは七年間、山上の時間を過ごした。日常のフロー型業務から完全に離れた時間こそが、思考の根を育てる。経営者やリーダーにとってのサバティカル、修養、長期休暇は、単なる休息ではなく、判断の根を深める機能を持つ。
対立する知性を同時に聞く訓練
セテムブリーニとナフタのどちらかに帰依するのではなく、両者の対話を聞き続けることがハンスの教養を形成した。対立する意見を両方とも保持する知的持久力は、経営判断の質を決める。
病を学習の空間とみなす
「病」は単に克服すべき欠損ではなく、別種の時間を提供する空間でもある。組織の停滞期、業績悪化期を、単に治療すべき状態と見るのではなく、学びの時間として位置づけ直す視点が、長期の回復を準備する。
関連する概念
- ハンス・カストルプ
- セテムブリーニ
- ナフタ
- ダヴォス療養所
- 教養小説
参考
- 原典: トーマス・マン『魔の山』関泰祐・望月市恵訳、岩波文庫
- 研究: 青木順三『トーマス・マンと転換期の認識』岩波書店